プログラマーの運命?

中学生の頃から長い事プログラミングを趣味としてきて、人生のほとんどの自由時間はプログラミングをしてきたといってもいい。そんな私は、どうも、あいまいなことを口にするのが苦手なようである。何を考えるにも、プログラムのようにある程度先までの現象が、ギッコンバッコンと論理的に伝搬していき、結果こうなる、というのが見えないと発言ができないのかもしれない。
そうすると、自動的に発言が遅くなる(これは、頭の良い人なら別だろうけど)。また、必ず、100%、こうなるという結果が探索できない場合には、発言しない。あるいは、逆に、何も考えずにポンと適当なことを言うことになる。
そうすると、旗から見ればただの役立たず、信頼性のおけない気持ち悪いネクラ、口べた野郎になる。
100%とか求めずに、もっとグレーな結果でも良いということや、或は多分こうじゃない、といった予測に基づいた発言でもいいということを分らなくてはいけない。もっといえば、正解、不正解なんてものは意味が持たない場合が多く、そんなものを気にすること自体が良くないかもしれない。
人をまとめている人の発言なんかを見ていると思う。発言者の、人となり、周りをその気にさせる力、引っ張っていく力というのが、自然と、正解に導きさせる、或は、この手が最良だったと思わせるということである。

というわけで、会話べた、議論べたになった原因の一つとして、プログラミングしすぎたってことが挙げられるんではなかろうかと思っとる。